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イラク戦争批判

 後藤 脩

         2003714

略奪・殺傷オン・パレード

 200349日のイラクのフセイン体制崩壊から数日後、首都バグダッドの街角。

リポーター 「なぜ君たちは略奪や暴力沙汰を続けるのかね?」

 市民    「アメリカやイギリスは我々の石油資源を略奪するため、我々市民を爆撃し殺しているではないか」。 

 バグダッドの官庁街は軒並み、連日の略奪と放火で破壊され尽くしていた。

国立博物館では古代メソポタミア文明を伝える貴重な文化財が大量に略奪されていた。博物館は最初、数十メートル先にいたアメリカ軍戦車に正門まで移動して守ってくれるよう要請したが、「命令を受けていない」という返事しかもらえなかった。そうした中、唯一つ、アメリカ軍が逸早く警備をがっちり固めて暴徒を寄せ付けなかった石油省ビルの無傷の姿が何を意味するかは、バグダッドの市民にとって明々白々だったであろう。

(イラクの石油埋蔵量はサウジアラビアに次ぐ世界第2位で、世界全体の1割を占めるという)。 

 これらの市民は数日前まではアメリカ、イギリス両軍による激烈な無差別爆撃の下で生死の間をさまよっていたのであり、その間に最愛の家族の命を奪われた人たちも多い。日本の朝日新聞がバグダッド市内の主要6病院で診療記録などを基に聞き取り調査したところによると、410日現在で文民(非戦闘員の市民)の死者は約1千人、負傷者は約6千人に上っていた。市内全体では大小約40の医療機関があり、これらの犠牲者数はさらに大きくなるだろう。

 

現実認識ない大統領

 51日、アメリカのブッシュ大統領はイラクでの戦闘終結を宣言するとともに、その演説の中で「今日では、我々は新しい戦術と精密兵器により、暴力を文民へ向けることなくして軍事目標を達成できる」という所信を語った。しかし、この発言は、イラクの現場における無差別殺傷の悲惨極まる現実に対する認識の完全な欠如を示すもの、と言うほかない。その大統領の下、イラク作戦を統轄した中央軍司令部などアメリカ当局は味方兵士の死者に関しては逐一公表しながらも、イラク側の死者数に関しては、文民に関しても、兵士に関しても、終始沈黙し続けてきた。 

 これに対し、イラク政府は4月3日、文民死者を1250人以上と発表したが、この政府はこの発表を最後の発表として6日後に消滅した。

 AP通信は610日、イラク全土の124病院のうち主要な60病院での記録や聞き取りの調査の結果として、主な戦闘の終わった後の420日の時点でイラク文民の死者は3240人以上となり、さらに病院に運ばれずに埋葬された人たちなども含めると、この数は数千人増える可能性があると報じた。これによると、420日は開戦から31日日なので、1日当たり文民死者は105人以上となる。また、報道情報に基づいてイラク文民死者を集計している国際的市民事業「イラク・ボディ・カウント」は611日現在、戦闘終結宣言後のものも含めた数字を最低5531人、最高7203人としている。因みに、2001年のアメリカによるアフガニスタン空爆での文民死者は61日間で約3660人、1日当たり約60人、1999年の北大西洋条約機構(NATO)によるユーゴスラビア空爆でのそれは78日間で1700人、1日当たり22人だった。

 イラクでの戦闘終結は宣言されたが、開戦理由とされた「イラクの大量破壊兵器保有」の証拠は発見されないままだった。この戦争は幻を追いかけていたのだろうか?しかし、その空爆による大量無差別殺傷という結末は厳然たる現実である。単なる幻ごとで済ますには、その犠牲はあまりにも大きすぎる。第2次世界大戦以降の幾多の国際戦争で繰り返されてきた大量無差別殺傷の主たる実行犯はほとんど常に空爆兵力だった。この歴然たる現実の“大量破壊兵力”としての空爆兵力は依然として野放しにしておく一方、幻まがいの“大量破壊兵器”の脅威はいやがうえにも煽り立てる――この倒錯した振る舞いが今回の非条理の惨劇をもたらした。 

国連体制崩壊へ

 522日、国連安全保障理事会は「統一司令部(「当局」)の下の占領国としてのアメリカとイギリスの該当する国際法の下の特定の権限と責任、義務を承認する」とし、また、イラクの石油輸出収益を積み立て、そこからイラクの人道援助、経済復興などの資金を支出する「イラク開発基金」に対する監督権などもこの「当局」に付与するという決議14832003)を採択した。

 しかし、この安保理はこれまで、このイラク戦争を承認してはいなかった。改めて是非を問うとすれば、国連憲章は「すべての加盟国は、武力による威嚇または武力の行使を、いかなる国の領土保全または政治的独立に対するものも慎まねばならない」(24項)との原則の下に、例外的な武力行使として「安保理が国際の平和および安全の維持または回復に必要と認めた軍事的措置」(42条)と「武力攻撃が発生した場合における自衛権の行使」(51条)だけを許容している。今度の対イラク攻撃は、この安保理による軍事的措置ではないし、また、911同時多発テロの場合と異なり、アメリカ、イギリスに対する武力攻撃が発生したためでもないとすれば、結局のところ、国連憲章違反の無法な攻撃ということになる。そして、無法な攻撃の結果としての占領も無法な占領でしかあり得ないが、その「占領国」と称される「無法者たち」に「国際法の下の特定の権限」を認める今度の安保理決議とは一体何を意味するのか?その意味するものは唯一つ、国連体制の崩壊であろう。 

国連とりもなおさず安保理の信頼性は、東西冷戦時代から今日までのソ連、アメリカなどの常任理事国による「拒否権」「二重基準」の乱発乱用のため大きく揺らいできた。1999年春の安保理の承認決議なしのNATOによるユーゴスラビア空爆の際、いよいよ国連体制崩壊の始まりかとも見えたが、その陳謝の印か、少なくともその戦後処理に関する限りは国連主導とする体裁が図られた。今度のイラクの復興問題を含む戦後処理にも「国連中心を」という国際世論は決して弱くはなかった。しかし、新決議では、アメリカ、イギリスだけがあくまでも主人公であり、国連はただその下請けとしての関与を認められているに過ぎない。「国連が死んだとすれば、命日はイラク戦争が始まった日ではなく、イラク新決議が採択された日だろう」――という陰陰たるうめきが国連事務局内から漏れ伝わってきている。 

血は血を呼ぶ

 安保理でイラク新決議案審議の最中の512日、サウジアラビアの首都リヤドの外国人居住地で連続爆破事件が発生、29人が死亡、194人が負傷した。死者のうち自爆者9人を除いた20人の半数10人はアメリカ人文民だった。4日後の16日、モロッコの主要都市カサブランカの中心街で同様の連続爆破事件が起き、24人が死亡、60人以上が負傷した。こちらも欧米、ユダヤ人の多い場所だった。この2件の流血は、これまでのパレスチナ対イスラエルやチェチェン対ロシアのような地域単位の流血を超え、イスラム対欧米の性格を持つものとして、イラクでの大量流血に対する報復として開始されたものであろう。

 略奪は略奪を呼ぶように、血は血を呼ぶ。

 イラク国内では、アメリカのブッシュ大統領の早々とした戦闘終結宣言にもかかわらず、現地の軍司令官自らが認めている「全土が戦闘地域」の状態がなお続いており、この宣言から約2ケ月の間のアメリカ軍の死者は50人台に達した模様である。さらに、アメリカが新安保埋決議の採択後、占領の長期化へ動き出しており、これへの反発が加わると事態は一層厳しくなる。フセイン体制の硬直した権力組織はもろくも倒れたが、組織があるようで、なく、ないようであるゲリラ勢力、その周囲にうごめく敵意があるようで、なく、ないようである国民大衆、これらを相手には精密兵器の効用も限られ、抗争は泥沼化しかねない。

 そして、それが国際的に血を呼び合うなら、その惨状は測り知れない。

 新たな努力を!

 無法状態では、略奪が略奪を呼び、血が血を呼ぶことが必然となる場合もある。無法状態では、人は窮地においても自力で自分を救済するほかないからである。その時、信頼できる法があれば、人は法による救済を期待できる。信頼性ある法の形成のために先人の努力がなされてきた。しかし、今、国連体制点崩壊の危機に際し新たな努力が求められている。

 我々、無差別殺傷許さぬ市民連盟(CLAIKW)は、最優先の努力目標として「無差別殺傷等の処罰に関する条約」の実現を期する。 

 

イラク戦争批判(続き)

20031117

国連は集団的侵略の道具

 1016日、国連安全保障理事会は、イラク問題の解決には人、カネの両面での国際的支援が不可欠であることを強調しつつ、人の面ではアメリカ軍の統一的指揮下の多国籍軍を認可し、これへの参加を加盟国に促す、という新しいイラク決議15112003)を採択した。アメリカ主力の多国籍軍は、199091年の湾岸戦争でも「イラクのクウェート侵略の鎮圧のため」として認可された。しかし、今回は、その事情が全然異なる。

国連憲章第11項は「国際連合の目的は、国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置を取ること」と定めている。これを受けて、国連総会は19741214日、「侵略の定義に関する決議」を採択、その中で、b、c、d、e、f、g7項目の行為を侵略行為として規定した。うち、aの「一国の軍隊による他国の領土に対する侵入もしくは攻撃、一時的なものであってもかかる侵入もしくは攻撃の結果として生じた軍事占領、または武力の行使による他国の領土の全部もしくは一部の併合」という侵略行為は今、安保理決議14832003)の下のアメリカ・イギリス軍によって演じられており、さらに、の「上記(a〜f)の諸行為に相当する重大性を有する武力行為を他国に対して実行する武装部隊、集団、不正規兵または傭兵の国家による派遣、もしくは国家のための派遣、またはかかる行為に対する国家の実質的関与」という侵略行為も新安保理決議15112003)の下の多国籍軍によって展開されることになった。

 国連は今や、本来の「平和の破壊の鎮圧のための集団的措置」とは正反対の平和の破壊の拡大のための集団的侵略の道具として利用されるに過ぎないもになった。これは国連の崩壊を意味するもの、と重ねて言わざるを得ない。 

 第一に、国連総会決議が国連安保理により全く無視された。

1016日の安保理の席上、決議1511の全会一致の採択の直後、ロシア、ドイツ、フランスとパキスタンが決議にかかわらず、多国籍軍への不参加を表明した。そのそれぞれの理由は述べられたが、それらも、ならばなぜ賛成投票したのか、反対するか、少なくとも棄権すべきではなかったか、という疑問に十分に答えるものではなかった。国連加盟国の大方は,それぞれの立場なりの推量を働かせるしかなかったのではあるまいか。これも崩壊現象の一つであろう。

116日、アメリカ・イギリスの占領下のイラクでの人道援助活動などを続けていた国連非イラク人要員の全員がバグダッドから国外退去した。これらの要員は当初約800人いたが、バグダッドの国連現地本部への819日の自動車爆弾攻撃の後、一挙に約115人に減り、同本部への922日の再度の爆弾攻撃の後、さらに減り続けていたところ、1027日、同じくバグダッドにある赤十字国際委員会現地本部までが車爆弾攻撃を受けたのを見て、残留していた約20人が完全撤退に踏み切ることになったものである。このことは、アメリカ・イギリスの占領体制の破綻、と同時に、国連体制の崩壊をも象徴しているようである。

なお、安保理決議1511はイラクでの制憲会議の問題にも言及しているが、この問題も扱い方次第では陸戦の法規慣例に関する条約の第43条「占領地の法律の尊重」に抵触する可能性がある。 

文明の激突?

上記の文脈からすれば、バグダッドの国連現地本部に対する爆弾攻撃は起こるべくして起こる必然性があった。しかし、赤十字国際委員会現地本部はこの文脈の圏外にあり、赤十字の中立性には一応の定評がある。それに対する爆弾攻撃について治安撹乱を狙った無差別攻撃との見方も伝えられてはいるが、それだけでは割り切れないものが残る。問題は赤十字の「十字」にないか?十字はキリスト教の象徴であり、忌まわしい中世の十字軍をも想起させる。このため、イスラム教国は各国の赤十字社に相当するものを赤新月社と名づけている。

このバグダッドでの赤十字爆破事件の11日前の1016日、アメリカでイスラム教徒の神経を逆なでする出来事が起こっていた。国防総省でオサマ・ビンラディン氏やフセイン元イラク大統領の所在の追跡調査担当の陸軍中将が自分の信仰するキリスト教福音派の集会で「イスラム過激派がアメリカを嫌うのは、我々がユダヤ・キリスト教を社会の基盤としているからだ」「私の紙は本当の神だが、彼らの神は偽りの神だ」「彼らはサタン(大悪魔)だ」など繰り返していたことが新聞報道され、在アメリカ・イスラム団体が強く抗議する騒ぎとなったのである。この騒ぎが直接、バグダッドの赤十字爆破の引き金になったかどうかは不明である。しかし、イラクのゲリラ勢力が、これまでの「アメリカとそれを支援するものすべて」に新たに「キリスト教的なものすべて」を加えて、その攻撃対象を拡大したことは明らかであろう。 

また、アメリカでは、上記の陸軍中将の問題発言と相前後して、同中将の上司であるラムズフェルド国防長官が対テロ世界戦争の正当性を勝ち取るためには「思想戦」を戦わなければならないいと強調し、このために国防総省とは別の新しい政府機関の設立を要請した。思想戦とは、味方の思考体系を防衛しながら、敵の思考体系を破壊するということであろう。

 イラクのゲリラ勢力がユダヤ・キリスト教を基盤とする社会に生まれた文物を無差別に破壊し、アメリカがイスラム教を基盤とする社会に生まれた思考体系そのものを破壊するというのであれば、それは文明の衝突の最悪のものの一つとなろう。

 

許されぬ罪

1112日、アメリカは方針を急転換し、イラクへの早期主権返還を決めた。これにより、イラクは暫定国民議会を選出、この議会が暫定政府を樹立するなどして2004年夏までに主権返還を受けることになる予定である。ブッシュ政権としてはゲリラ攻勢が激化するばかりの中、2004年大統領選挙を控え切羽詰った泥沼脱出策であったろうが、これで事態が好転する保証もない。

まず、返還受け入れのためのもろもろの手続きや作業が来年夏までに間に合うよう進められるか、目下の治安悪化の下では一寸先が闇。そして、もっと本質的な問題はイラク人の統治評議会である。この統治評議会は占領当局により占領統治のために選任され、イラク国民からは傀儡(かいらい)されているが、その評議会が今度は新しい暫定国民議会議員を選任することになっている。評議員の一人は925日、ゲリラに襲撃され死亡している。今後、暫定国民議会や暫定政府が標的とされる可能性もある。アメリカにとって統治評議会は今や弱みとも見えるが、代わる相手はイラクにいないであろう。 

1113日のイラク・ボディ・カウントによると、イラク戦争での文民死者数は最低7863人、最高9693人に達した。イラクは物的にはいずれ何らかの形で再建されるであろうが、これらの文民は永遠に帰ってこない。

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